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設立経緯


 本校は、遠く会津藩學日新館教育に淵源し、明治維新後、その伝統を受け継いだ私學日新館、更には新制度による若松中学校の設置等幾多の歴史的変遷を経て、地域人士が心血を注ぎ辛苦の末に設立された。

(復元された会津藩校日新館)







創立功労者


  
 山川 浩 (東京師範学校長)左写真
 山川健次郎(東京帝国大学総長)マウスを載せる
 高峰 秀夫(東京師範学校教授)クリック

 高木盛之輔(福島裁判所検事)
 沼沢 七郎(福島県属)
 秋山 清八(若松市長)
 松本 時正(北会津郡長)






山川健次郎


・白虎隊士から東大総長へ

  安政元年(1854年)若松城下に生まれる。父が7歳の時病死。会津藩家老を勤めた祖父に、什のしつけを受けて成長。藩校日新館で頭角を現し、15歳で白 虎隊士中二番隊に編入される。新政府の元でアメリカ留学生としてエール大学に学び、東京帝国大学理学部教授となり、日本物理学研究の基礎を築く。
 40歳で東京理科大学長、45歳で東京帝国大学の総長となった。51歳で貴族院議員となり職を辞するが、その後、九州帝国大学、再度東大総長、京都帝国大学総長を歴任した。

昭和6年(1931)没。享年76歳。

 若き日の健次郎

「山川健次郎小伝」(山川健次郎顕彰会)より








山川健次郎胸像(→拡大画像
(寄贈山川健次郎顕彰会・同窓会)

・時間に厳しい人

 会合等には必ず30分前に出かけた。九州の女学校の卒業式で祝辞を頼まれた際、30分前に式場に着いたが誰もおらず、掃除婦が準備をしていた。やおら壇に上り誰もいない客席に向かって祝辞を述べ、さっさと帰ってしまったという。「ならぬことはならぬ」という会津武士道を地でいった人であった。
 参照:会津若松市史(会津若松市)







会津高等学校のあゆみ



明治 23 「私立会津中学校」開校(所在地は栄町)

24 「会津尋常中学校」と改称。県知事の管理となる。

 26 「学而会」設立(本校の生徒会活動の発祥)

27  校舎落成(所在地は追手町)

28  第1回卒業式挙行(卒業生24名)

32  中学校令改正により「会津中学校」と改称

34  県立移管となり「福島県立会津中学校」と改称



昭和 11  現在地に校舎落成

23  新制高校として発足。校名を「福島県立会津高等学校」とする。

24 「新校歌」制定

26  女子生徒13名入学許可(30年廃止。女子卒業生計28名)

32  猪苗代湖湖畔中田浜に「学而会館」落成

38 「新体育館」落成


 原因不明の火災に遭い校舎の3分の2焼失

40 「学而講堂」落成

44 「理数科」設置(59年廃止)

46 「学而ホール」落成

58 「図書館(学而文庫)」落成

60 「好学愛校・文武不岐」をもって校是とする



平成 「創立100周年記念式典」挙行


 記念行事として「学而記念館」の増築と「学而会館」の改築

「推薦入学制度」導入

「大規模改修工事」開始

「南体育館」落成

14 「男女共学制」実施(女子生徒129名入学)

15 「トレーニングセンター」落成

16 「大規模改修工事」完成

   







校舎の位置